TIPS(ティップス)
TIPSは韓国政府・中小企業ベンチャー部が運営している技術系スタートアップのための支援事業のこと(Tech Incubator Program for Startupの略)。民間の投資会社がスタートアップ企業を選定し、民間投資と政府R&Dを連携して技術を持ったスタートアップ企業を支援している。2013年8月に16社のスタートアップ企業支援から始まり、2023年1月基準で2,134社のスタートアップ企業がTIPSに選定されている。そのうち1社がユニコーン企業に選定、11社がIPO、62社がM&Aをするなどの成果をあげている。
TIPSプログラムを運営しているTIPSTOWNのアン・ヨンイルセンター長にお話をうかがいました。
―TIPSがスタートした経緯を教えてください。
TIPSが運営される前までは、政府がスタートアップ企業を直接支援してきていました。しかし、政府は行政的な能力には優れているのですが、「成長が見込まれるスタートアップ企業だ」と簡単に判断することはできません。スタートアップコンテスト等を開き、大会受賞者たちに支援をするなどといった方式で長い間支援をしてきましたが、どれも散発的で運用がうまくいきませんでした。
そんな中、韓国政府の官僚たちがどうしたら自国の技術系スタートアップ企業をより多く育てられるか悩んでいた際に、イスラエルのスタートアップを視察する機会がありました。イスラエルのスタートアップは、国家の規模や人口数に比べて圧倒的な数のスタートアップ企業がNASDAQに上場をしています。イスラエルでは、なぜこんなにも多くの優秀なスタートアップ企業を輩出することができたのか。その背景にはTI(テックインキュベーター)というプログラムがありました。このプログラムはまず、実力があって優れた経歴を持っている民間の投資家たちが先に投資をし、自ら投資をしたスタートアップ企業を政府に推薦します。そして政府が、投資家から推薦されたスタートアップ企業に投資をするという方式だったのです。このTIプログラムが、現在TIPSが運営しているものと同一の構造というわけです。
―TIPSの支援を受けられる条件、流れ等を教えてください。
TIPSの支援を受けられる条件は様々ありますが、大きく2つのことをクリアする必要があります。1つ目は、技術性です。技術性とは、対象のスタートアップ企業が技術的に有望かどうかということです。2つ目は、事業性です。事業性とは、持っている技術をうまく活用して事業化を成功させることができるかということです。技術があったとしてもそれを事業として活用できなければ、社会で付加価値を生み出すことができないからです。
TIPSに選定される流れはまず、TIPSの投資会社として選定された民間の投資会社(TIPSでは運営会社と呼ぶ)が選定をしたスタートアップ企業に1億ウォン(約1,000万円)を先に投資し、10%程度の持分を受け取ります。その後TIPSの運営機関で選定した審査団が、運営会社から推薦された企業に技術性・事業性等があるのかを的確に審査をします。審査団は、スタートアップ出身者や、技術評価をすることのできる専門家たちなどで構成されています。この審査に合格をするとTIPSの支援を受けることができます。すなわち運営会社がまず始めにスタートアップ企業を審査し、その後TIPS運営機関側で審査するので2回審査をするということになります。
TIPSの相関図
―TIPSに選定されると具体的にどのような支援を受けられるのですか?
政府から支援金を受けることができます。具体的には2年間でR&D支援金が最大5億ウォン(約5,000万円)、技術事業化という支援金と、海外マーケティングという支援金がそれぞれ1億ウォン(約1,000万円)ずつです。全部合わせると約7億ウォン(約7,000万円)の支援金を受けることができます。技術事業化と海外マーケティング支援金は返済の義務がありません。R&D支援金の5億ウォンについては、支援した企業が成功した際にその成功に対する技術料として、最大5億ウォンの10%である5,000万ウォン(約500万円)の返済を受けています。「企業が成功した」というのは、支援したスタートアップ企業の売上規模、雇用数などで判断をしています。
このTIPS制度の他にも、運営会社から約1,000万ウォン(約100万円)の投資を受けたら、政府から1億ウォン程度の支援を受けることのできる「プレTIPS」という制度があります。他にも、追加で5億ウォンの支援を受けられる「ポストTIPS」という制度もあります。ポストTIPSは、M&AやIPO通してイグジットをしたり、証券市場に上場をしたり、または海外に大規模な輸出を持続的に行うことで、TIPSの運営機関が「TIPSによって成功した」と判定をしたら支援を受けられるという制度です。
また、2023年新たに運営会社がディープテック分野のスタートアップ企業に3億ウォン(約3,000万円)を投資し、選定されたら最大3年間で15億ウォン(約1億5,000万円)を支援する「ディープテックTIPS」という制度を新設しました。
―支援を受けたスタートアップ企業は、支援金をどう使ったかなど定期的な報告義務などはありますか?
定期的な報告の強制まではしていません。しかし、支援金は一度に支援するのではなく分けて支給するので、スタートアップ企業は次に受ける支援金のために、積極的に情報提供に協力します。また、管理機関で毎月の統計報告書の数字から成果調査をしています。例えば従業員に給料がしっかり支払われているかなどの調査も行っています。
支援した事業費については、会計システムを通して支出の流れや、支出項目が明確にわかるようになっているので、これを用いて確認をしています。また、毎年指定した会計法人で会計監査を受けなければなりません。
―TIPSは金銭的な支援以外にも行っている支援はありますか?
支援金以外に、TIPSTOWNという支援施設でスタートアップ企業の育成をしています。単にオフィスだけがあるのではありません。TIPSTOWNのある駅三(ヨクサム)は、調べる限り全世界のどこにもない「創業者通り」と呼ばれている通りがあります。片道300メートルに多くの技術系スタートアップ企業が集まっており、1,000人以上の関係者がいます。
創業者通りにはまず、現代グループが出資した財団である、The Asan Nanum Foundationが設立したMaru180とMaru360という施設があり、その次に江南区庁で投資をしている江南区スタートアップセンターがあります。そしてTIPSでは、TIPSTOWN S1からS6までがあり、ここに入居して活動している企業の数は約97社で入居人数は835人です。TIPSTOWNには基本的にTIPSの支援を受けている企業が入居でき、賃貸料の半分は政府が補助しています。そしてオフィスを提供しているだけでなく、ネットワーキング教育訓練プログラム、投資家とのマッチングサービス、法律や会計相談が必要な際の専門家とのマッチングなど全てを行います。また、海外進出を検討する際には海外進出に特化した専門家たちをTIPSで募集し、メンターをつけることもしています。
TIPSTOWN入口の写真
―TIPSの成果を具体的に教えてください。
TIPSは2013年に約30社のスタートアップ企業支援から始まり、成長を続けてきました。そして2023年1月基準で2,134社のスタートアップ企業がTIPSに選定され、そのうち1社がユニコーン企業に選定、11社がIPO、62社がM&Aをするなどの成果をあげています。また、この2,134社のうち119社が海外から投資を受けました。
そして、驚くべき面白い数値もあります。政府が2,134社を支援する為に投入した総予算が、約1兆137億ウォン(約1,000億円)です。TIPSの支援を受けた企業は右肩上がりに成長をするでしょう。そして成長をする過程でTIPSの支援だけを受けるのではなく、民間の投資会社からの後続投資も受けますよね。その後続投資での資金調達の総額が10兆6,236億ウォン(約1兆700億円)です。政府の支援金と比べると、なんと10.5倍です。この数字はとても象徴的な数字なのです。なぜなら、政府が支援するスタートアップ事業の中でここまで大きな数字が出る事業は存在しなかったからです。
また、もう1つ驚くべき点があります。それは、通常スタートアップ企業は倒産してしまう場合が多いですよね。倒産するほかないでしょう。世界的に見ても、スタートアップ企業が創業をしてから5年以内に廃業をする確率が50%、10年以内に廃業する可能性は70%です。韓国においては5年以内に廃業する確率は72%です。しかしTIPSの場合現在のところ、2,134社のスタートアップ企業の中で廃業した企業数は34社です。計算をすると廃業率が2%にもならないのです。2013年にTIPSプログラムが始まってから、廃業した企業が2,134社の中で34社だけということなので、すごいことだと言えます。圧倒的です。
―このような成果を生み出した鍵はどこにあると考えますか?
運営会社の役割は大きいと思います。どれだけ実力があり、優秀な運営会社にTIPSが委任をするか、彼らに権限を委任するかが重要な鍵だと考えます。TIPSの運営会社に選定されることは一種の資格とも言えるのですが、韓国の投資会社の中で、全社がTIPSの運営会社に選定されるわけではありません。その中の少数がTIPSの運営会社に選定されるのであって、私たちTIPSが運営会社をしっかり選別しているのです。グローバル進出を促進できる海外ネットワークを持っていることも必要な要素です。弁護士試験が難しいように、医師免許試験が難しいように、TIPS運営会社になるためのライセンス免許もまた、とても難しいのです。
現在TIPSの運営会社は80社で、今年上半期に約30社ほど加えて選定する予定です。10年間80社だったのですが、ここまで多くの投資会社を選定する理由は、TIPSが大きな成長傾向にあるからです。この成長傾向をさらに拡大させるために、より多くの予算を投入している状況です。
―以上のような過程を経て、TIPSから生まれた代表事例はありますか?
2,134社のうちの1社がユニコーン企業に選定されました。データビジネス企業である韓国信用データという企業です。韓国信用データは、昨年企業価値約1兆ウォンを認められており、Cashnote(キャッシュノート)という韓国で第1位の経営管理アプリを運営しています。Cashnoteでは売上・顧客・税金などの経営管理をアプリ1つで完結することができます。
また、VUNO(ビューノ)という企業があります。VUNOは、人工知能ソリューションを通じて疾患をあらかじめ発見し、最適な治療法を提示するサービスを提供している、医療人工知能企業です。このVUNOをはじめとする11社がIPO、62社がM&Aをするなどの成果をあげています。
―TIPSについて他国からはどのような反応がありますか?
多くの国の方が視察に訪れています。サウジアラビア、コロンビア、ブラジル、シンガポールから来た方たちも最初は驚いていました。
驚いていたポイントが2つあるのですが、1つ目は、政府が2,134社を支援する為に投入した総予算が、約1兆ウォンだったにも関わらず、民間から入ってきた後続投資が政府の支援金対比10.5倍だということです。2つ目は、通常スタートアップは廃業率が高いですが、2,134社のうち34社しか廃業していない、2%の廃業率だということです。「TIPSのような制度が自国にもあったらいいのに」、「成果の秘訣は何か」という質問を視察に来た方たちから受けました。
―最後に、TIPSは韓国スタートアップにとってどんな意義、意味、影響力がありますか?
私が思うに、「技術を持っているスタートアップ企業が創業をした」のであれば、その次にはTIPSを申請するべきだと考えています。TIPSはそれくらいの影響力を持っています。R&D支援金に対する10%の返済は受けていますが、それ以外に大きな返済の義務もなく使えるという魅力があるからです。
韓国だけではなく他国でもTIPSのような、政府だけの判断ではなく民間の優秀な投資会社が一緒になって支援をする制度があればと思います。このような支援が進めば、革新的なスタートアップ文化を作ることができると考えています。
TIPSTOWN(ティップスタウン) -アン・ヨンイルセンター長