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【LENDIT キム・ソンジュン】P2Pというビジネス、 正面から覗く

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【LENDIT キム・ソンジュン】P2Pというビジネス、 正面から覗く

ちょい事情通の記者 第1号ソン・ホチョル

NAVERに表示された「346億未払い、P2Pトップファンド代表、 拘束送致。詐欺などの疑い。」という記事を読みました。根拠もなく怒りが沸きました。「テクノロジーが意図的に人々に詐欺を行った」というのが、P2Pというヤツが私たちの社会に突きつけた課題なのでしょうか。オンライン投資連携金融(P2)ビジネスの腹をこじ開けてみたくなりました。

会ったのは、LENDIT(レンディット)キム・ソンジュン氏。P2Pのバラ色の種子を2015年に撒いたのは、まさにソウル科学高校とKAISTを卒業し、スタンフォードを修士で中退、LENDITを創業した、彼でしょう。2016年ごろ初めて会った時は、善良な瞳が気に入りました。

信用評価モデルを革新し、 お金がない人には現在より低い中金利にし、お金を転がしたい中産層には銀行金利より高い利子を与える、 本当の 「金融の革新」だと、 当時のキム・ソンジュン創業家は善良な目で言いました。 「技術で可能だ」と。

偏見なくP2Pのすべてを、 開いてみました。違いますね。ちょい事情通の記者が理解するレベルのすべてを、 です。今回のインタビューは質問がやや粗いです。また、質問-回答の順序を再調整していません。通常インタビュー文を書く際は、質問の順序を変えて面白いテーマを前に引くなど、読者が読みやすい文を書きますが今回は例外です。P2Pの明暗をすべて見るためです。



   

この一枚の写真が韓国 P2Pの始点かもしれません。 2015年2月、 LENDIT創業前のキム・ソンジュン代表が何人かの友達と一緒にノドゥル駅近くのAirbnb(エアビーアンドビー)で合宿を行ったときの写真です。LENDITという社名をつけるワークショップだったといいます。(写真LENDIT提供)   

 

規制のせいでビジネスが止まった3年間、耐えに耐えたLENDIT 

-LENDITは創業8年目ですよね?創業時の理想と2022年の現実の間でのギャップは?

満7年、 8年目になりました。15年3月に創業しました。理想と現実のギャップというと、第20代国会の最終本会の話をしなければなりませんね。そこで、P2P金融業法が通過しました。

実はそれが通過しなければ、創業というボールを投げたもののまったく思わぬ方向に飛んでいって産業がまったく存在しないことになっていました。幸い、その関門を通り過ぎ、 再び方向性は創業の際に描いた絵の通りになりました。少し残念な部分はあります。

LENDITやP2P産業が発展する時間が2~3年遅れたというのもそうですが、 途中で事件事故が増え、法制化は遅れ、消費者保護や産業育成をきちんとする根拠法令がなかった時期が長かったです。みなさんがよくご存知のP2P事故が起こり、実際に刑を受けた人もいたり。産業が一度大きく信頼を失ったのです。失われた時間は質的に打撃でした。

しかし、最初に描いたトレジェクトリー(trajectory、 ミサイルやボールを投げたときの方向と軌道)に戻ってきました。産業レベルで回復しなければならない時です。スタートアップが(規制の苦しみまで)覚悟して、耐えなければならないということに、残念な気持ちは確かにあります。

 

-失った3年のギャップ?一体LENDITは何を失いましたか?

多くの人々がP2Pを個人間取引であるとの誤解をしていますが、 実際に海外の発展方向性を見ると、リスク評価能力がとても優れた機関たちの参加の方が多いです。P2Pに資金を貸す大型機関の比重が大きいのです。比重は機関が90%ですが、P2P産業に入ってくる絶対額が大きいので、 個人の投資額も大きくなるという形です。法的勤務や制度整備のせいで、韓国では大型金融機関が参加するのがかなり遅れました。今になってやっと活発に議論されている状況です。

例えば、アメリカではP2Pが2008~9年に始まり、 その会社たちに機関の投資金が入ったのが2011~12年です。この時から本格的にB2B(企業間取引)ビジネスが大きくなり、 同時にB2C(企業と個人間取引)が多くなりました。

例えば韓国なら、KEB HANA銀行(ハナ銀行)のような所がP2Pスタートアップに投資家として参加し始めれば、 当然個人もここは信頼度があるんだ、という考えから一緒に投資しますよね。ウィンウィンになりながらボリュームが大きくなったのが、アメリカではP2P産業が始まって14年後のことでした。

私たちは違いました。LENDITは7年経った今がアメリカの4年目ほどです。途中で3年失ったためです。アメリカで2011~12年に起こった変化が今起こっている状況です。その3年の時間があれば、今のおよそ6倍以上に大きくなったであろう市場が遅れたのです。

大型金融機関のP2P投資が始まると、 俗にいうスタートアップのJカーブの成長が始まります。アメリカやイギリスの会社を見ると、アーリーアダプターのような個人投資家たちによってのみ市場が成長していく過程では非常に規模が小さいため、成長はゆっくりであり、検証がある程度されたという判断がされると、機関が入ってきて、それに応じて個人投資家も増えます。この時年間500%、600% 成長するのですが、 韓国では今後 1年以内にそのような変化があるのではないかというのが私の推測です。実際、私たちも韓国内外の機関と話を交わしている状況です。

 

-LENDITの現在の取引額はどのくらいですか?

残高基準で300億ウォン(約30億円)に少し届かない位です。月の取引額でいえば50億~100億(約5億~10億)程度ずつ融資を扱っています。P2P市場のうち少し検証がなされているところは、今年の終わりにはかなりの変化を経験するのではないでしょうか。

なぜなら、第2金融圏がひと月に扱うクレジットローンは1兆ウォン(約1000億円)を超えています。1兆2千億(約1200億円)程度に及んでおり、そのように考えれば何百億(数十億円)を扱うのはとても小さなことです。ちなみに、アメリカではオンライン投資連携業P2Pが全体のクレジットローン市場の10% 程度になります。アメリカと同様であれば、韓国でも充分月に1千億(約100億円)以上の資金がクレジットローンで可能ではないかと考えています。 


残った人々の記念写真。LENDIT提供  

 

規制により何もできなかったLENDITを、何人かのメンバーは去った。しかし、残った人々はより最前線である。


メンバーに 「通帳残高がどれくらい残っているのか」を公開した。

-2015年の創業の際に考えていた「7年目、8年目のLENDIT取引額」は今の10倍くらいではありませんでしたか?

それくらいか、 それ以上見ていましたね。プロジェクション(projection)の根拠は先ほど言った通り、アメリカです。アメリカで大型金融機関がこの市場に入り、個人が活性化され、このような状況に応じた時点と成長率の変化でした。しかし、失われた時間が二度ありました。暗黒期です。規制のせいで何もできなかった時期です。

最初のは2018年中旬から2019年10月までです。1年3~4ヶ月程度はいったいどう、いつ法がなるのかわからない、 状況でした。小さな個人事業者としてカフェを一つ運営するにしても、今後6ヶ月の計画を立てるでしょう。

〇人採用していて、売り場の家賃は月にいくらだから、コーヒーを〇杯売らなければならない、あとはスナック、 ケーキのようなものを売って売り上げを出そう、こういう計画を立てるじゃないですか。しかし、LENDITは1年3〜4ヶ月間、計画が意味を為しませんでした。計画が完全にただの小説になってしまった状況でした。

当然、できることもありませんでした。それでもやるべきこと、2つを行いました。法制化が上手くいき、 産業がもともと期待した方向に向かうと前提した時、 後に融資取引量がJカーブに乗って10倍になった時のための信用評価模モデルの高度化や自動化です。

もしや一日に1000人だった申請者が、突然1万人になり、3万人になったとき、 それをハンドリングするシステムはすぐには出来ません。内部的にシステムを高度化することだけに集中しました。それだけでなく、LENDITは中間の 6〜7ヶ月ほどは全く新規融資を行いませんでした。顧客に公示を行い、新規融資自体を受け付けなかったのです。内部的にシステム信用評価モデルや内部融資システムを高度化する作業だけに集中するためです。

LENDITは融資を扱う際、オフライン金融機関のように件数が増えるほど充員して手ずから行うわけではなく、結局はシステムが行わなければならないため、重要な作業になります。また金融を扱う会社なので数字ひとつ誤ると本当に大きな事故になります。完璧に整合性を合わせる作業です。

2つ目は、ただ足を使ってあちこち回ることです。法通過してほしいと要請するため、 18年、19年全て合わせれば国会だけで100回以上行ったと思います。あらゆる大韓商工会議所も訪れ、次にインターネット企業協会だとかコリアスタートアップフォーラムだとか様々なところに行きました。

当時法通過が難しかったのは、単にP2Pの問題ではなく、 防弾国会(検察の調査や逮捕などから国会議員を守るために開かれる国会)だったためです。だから民生法案を放置してはならないという声を大きくしなければなりませんでした。当時、ちょうどパク・ヨンマン大韓商工会議所所長がスタートアップ規制革新問題を解決しようと声を上げられていました。パク・ヨンマン会長は社会的に非常に影響力が大きいので、 与野党議員たちも気にしてくれました。紆余曲折の末に、 第20代本会の最後で通過しました。


―組織において「法通過するから、 それまで未来のための技術開発をあらかじめしておこう」 、こうしたことが内部メンバーにも受け入れられますか?組織は動揺しますよね?

動揺はありました。実は、2019年初めに金融委がP2P法を推進して通過させると公開的に明らかにしたことがあります。期待値がとても上がりました。不確実性の多くが解消されたと信じていましたが、それとは全く無関係に政務委が突然ドアを閉め、職員の不安も大きくなりました。

当然、不確実性のため退社された方もいらっしゃいます。何人かまで正確には数えられませんでした。その苦難を経験し、残っている職員は、現在LENDITのビジネスで重要な役割を担っています。内部結束がとても強くなった面があります。

 

-不確かな状況の中でメンバーのために何をされましたか?

内部的にたくさん話をするしかないじゃないですか。不確実性が実際にある、 しかし会社レベルでは何らかの準備は行っている、という風に。例えば資金状況のようなものを、 透明に公開するよう努めました。そんな話なしでただ「うまくいくよ」とだけ言っていたら、みんな信じていなかったでしょう。

長期化するかもしれないと初めから考えていたため、定期的に公開を行いました。LENDITは2週間に一度タウンホールミーティングを行います。その場で全て公開します。匿名のメモか、手を上げて質問することができ、 たった一つの原則は、質問には必ず私がその場で答えることです。

ただ手書きして箱に入れる方式なのに、 ハンドライティングも気が重かったのかプリントして入れる方がいたのは、当時不思議な現象でした。 質問箱には手を付けないまま、タウンホールミーティングの場で開き、 見てその場ですぐに答えるので、 職員の皆さんにも、少なくとも何かを隠そうとはしないというのが伝わっていきました。

例えば 「いったい、いつ法制化されるのか」「いつお金になるのか」「数ヵ月後にお金が無くなりますか」という質問も当然ありました。その時には 、「8ヶ月後にはお金が無くなります。しかし、 8ヶ月以内に法制化されるという確信はないため、間でいろいろな増資作業をしています」と答えます。

すぐに回答を出すのですが、 正直、質問を見てから2秒程どう答えるべきか迷ったことがあります。 「通帳の残高はどのくらいありますか?」という質問です。当然、私は正確な金額を知っていました。毎日毎日苦しみながら見ていたので。2秒止まって、それから話しました。通帳にいくらあって、 ひと月いくら使えば、 いつには尽きると。



Altos Ventures(アルトスベンチャーズ)のハン・キム代表が投資会社のLENDITで成功を祈る姿。AltosはLENDITの初期投資家だ。/LENDIT提供 

 

規制解除され、投資を受けて最大株主からは降りた。

-法が通過してからは、ちょっと楽ですか?先ほど失われた3年、とおっしゃいましたよね?残りの1年は?

法通過しないときは完全に不確実、 ただ暗黒でした。2019年10月31日、本会議を通過しましたが、正式ライセンスは21年6月に出ました。二番目の壁に防がれた期間です。そのギャップが1年 8ヶ月ほどでした。国会を通過した後は、官僚の行政領域です。当時は法通過後9ヵ月ほどだろうと見ていました。ライセンスを取得するまで。

なぜなら、法が通った時、9ヶ月後に施行と明示されていたのです。 名文化された通りに、私たちはすべてを準備していました。しかし、2020年8月ではなく、2021年6月にライセンスが出ました。官僚、 行政領域の大変さは十分理解しています。審査はきちんと行わなければならないですから。

しかし、本会議で法が通過してからライセンスが出るまでほとんど20ヶ月かかりました。スタートアップの立場では20ヶ月は短い期間ではないでしょう。以前ほど暗黒ではありませんが、前が見えはしているのに いつ速度がつくのかに不確実性が存在する期間でした。全てが終わり、再び走り始めたのが2021年6月、7月からです。


-3年の暗闇が終わった時点で、LENDITは535億ウォン(約53億5000万円)という大きな投資を受けていましたよね。しかし、創業者キム・ソンジュンとしてはどうですか?最大株主が変わったと伺っています。

それでも経営権は私が持っています。昨年Eラウンドを行いましたが、 実は、代表取締役兼創業者がEラウンドでも最大株主でいるのは大変です。スタートアップのライフタイムで見ると、Eラウンドで最大株主が変わったのは、 異例ではないと思います。

 

-Eラウンドでは企業バリューは思ったほどは行かなかったですか?

LENDITは3つ目の会社であり、私もベンチャー業界に15~16年程いました。個人的にスタートアップのバリュエーションについてかなり保守的に見る方です。シリーズE投資を受ける際のLENDITのバリューがいくらであるかを公開することはできませんが、 もし3年の暗黒期がなければ、 バリュエーションが実際に受けたものより4倍は多かったかもしれません。

しかし、スタートアップにおいては全体的な市場状況に応じてありえることですし、逆にそのように投資を受けても、IPOを行ったり買収合併をしたり、後で見た時結果的にスタートアップとしての生涯を終える時点でどのような結果であるかが重要です。実は、私は中間過程のバリエーションには大きな意味を感じないタイプです。高すぎるバリューを獲得し、その後に非常に大きな困難を経験する可能性も大きいのです。実際、今多くの会社がそれを経験しています。

そのような観点から見ると、中間の過程では残念に感じるかもしれませんが、負担は相対的にはずっと少ないのです。全体のライフタイムにおいて、このスタートアップを創業して途中時点でいくら稼ぐだろう、という考えでスタートアップを創業はしないため、結果値が一番重要だと思います。

どこまで行くことができるかがさらに重要です。遠い過去を振り返ると、2015年3月に会社を設立し、4月にAltosから15億(約1億5000万円)の投資を受けました。実はAltosより良いバリュエーションの提案もいくつかありました。当時も同様でした。どのくらいのバリューとして認められるかは、実際の結果値とは非常に異なる可能性が大きいため、そこにはこだわらないタイプです。


 

-規制のせいで何もできないとき、 創業者のメンタル的には何で耐えましたか?

一つは忍耐です。以前アメリカで創業した時も大苦戦しました。本当に一番親しかった友人との関係が壊れてしまいました。その時の経験があるので、スタートアップをする中で経験する様々な曲がり角とそれに伴う感情変化について少しは忍耐がある方でした。

アメリカのあるストリートには、絶対に行きません。一番親しい友人であり共同創業者と路上で大声で争ったんです。共同創業はほとんど結婚と同じじゃないですか。いつもそばにいて、苦楽を共にしますから。実際、私たちは一緒に暮らしながら、働いていました。事務所に住んでいました。

実は、精神的なメンタルの管理については、自分はすべて克服したと思っていたのですが、LENDITを運営する中で、より強い困難が訪れました。ああ、これが終わりではないんだなと感じましたね。

なぜなら、規制はどうすることもできないことじゃないですか。 共同創業者と仲が悪いとか売上が悪いとかであれば、私がもっと一生懸命働けばいいですが、 規制は一生懸命働いただとか開発が上手い、マーケティングが上手いだとかで変わるわけではありません。 ただ無気力になりました。

それで耐えるためのルーティンを作りました。忍耐強い方なのに、 それでもダメとなり、自分なりのルーティン方法を探しました。当時は通常10時過ぎまで働いてから、家に帰っていたのですが、私の家は漢江(ハンガン)の辺りなんです。毎晩11時ごろ漢江沿いを歩きました。ある箇所からある箇所まで歩きながらその日の考えを整理します。

考えていることを2つに整理しました。私がコントロールできるものとコントロールできないものに。当時は、その日あったことのうちコントロールできないことの方がはるかに多かったです。コントロールできないことは漢江に捨てて行くという気持ちで歩き続けていました。 歩きながら1時間ほど整理して家に帰ります。麻浦(マポ)側ですが国会が見えます。あそこにいる300人。 (彼はそれ以上言葉を続けられなかった。)

ルーティンを作成したのは、当時はすべてが不確かだったためです。スタートアップをしていると、1から10まで不確かです。すべてが不確かですがルーティンは私だけ守れば良いことなので、「私は毎日11時に漢江を1時間歩きながらこのような考えをまとめる」というルーティンは、 私だけ行えば可能です。

完全に私が管理、制御可能なことです。私の人生で最小限のステイブルなものでした。そこで毎日国会を眺めました。ところで、夜の国会はすごく綺麗なんです。明かりも灯されています。今何をしていて電気が付けられているのか考えたりもしました。

 

夜11時には漢江沿いを歩く、 「私が完全に決められること」は唯一それだけでした。

-俗に言う「何でも出来る完璧な子ども」ですよね。ソウル科学高校、KAIST、スタンフォード、身長180以上。暗黒期、ご家族は不安がっていませんでしたか?LENDITが潰れないか。

そうでしょうか。スタンフォードは機械工学の修士1年で自主退学しました。結婚は創業4ヶ月後にしました。妻は少し違います。僕が「完璧な子ども」なら、妻もそうだと思います。高校の同級生なんです。

ソウル科学高校2年の時から14年付き合って、結婚しました。妻は、学部時代はソウル大学で心理学を学び、アメリカで博士まで取りました。私は修士中退なので、 学士です。

妻は14年付き合う中で、私がアメリカでやっていた会社の状況を知っています。当時、妻は本当に可哀想でした。会社がうまくいかなかったことだけでなく、お互いみんな知り合いの高校の友人たちだったのに、 ベストフレンドとの間で起こった出来事を全て見ることになったためです。 妻もとても忍耐強くなりました。LENDITの暗黒期も、ただ、この曲がり角もいつかは大丈夫になるだろうと、横で見守ってくれました。

 

-耐えに耐えたLENDITですが、もう規制の影響はなく、実戦となります。P2Pで、LENDITは生き残ることができるでしょうか?

初めからLENDITを技術会社だと信じています。新事業のチャンスを窺う時、頭の中の基準はたった1つ、

私たちがカード会社、 貯蓄銀行よりもうまくやれるのか、 そして彼らはなぜこれをやれていないのか、 それしかありません。無担保個人クレジットローンだけを見れば、過去伝統的な金融会社がうまくやれていないんです。

10年前と今、 会社のやり方が大きく変わっていません。信用評価モデルの方法論も似ています。NICE(ナイス)信用評価などの信用評価会社に依存しているのも似通っていますし、オフライン支店でローンを扱うため、この費用をなくすことはできません。レガシーコストがあり、 結果として高金利である10%後半で貸付を行う方法でとても安定して収益を上げています。自分たちが変わるのではなく、 高い金利でローンのリスクを防いでしまうのです。

LENDITは彼らよりも信用評価を上手く行い、オフライン支点なしですべてをコンピュータ化して処理することで、結局は彼らが提供するローン金利よりも、低く提供することを可能にします。実際に、アメリカ、 イギリス、 ドイツ、 オーストラリアで起こったことです。

アメリカでは実際に浸透率が10%にまでなりました。アメリカの10%といえば、韓国の個人クレジットローン市場でのカードローンの全体規模です。400兆ウォン(約40兆円)のクレジットローン市場の中でカード会社をすべて合わせると40兆程度(約4兆円)のカードローンがありますが、アメリカではこの割合ほどをP2Pが行っているんです。

 

-韓国でも40兆(約4兆円)まで可能だと?

はい。彼らがうまくやれていない技術の高度化、信用評価モデルの高度化をうまく行えば。クレジットローンは、伝統的な金融会社よりも技術会社がうまくやれる可能性がかなり高いです。 ある人が延滞なく貸付金をきちんと返済するかどうかを、その人のどこかを見て、技術的に証明するというもので、結局データなんです。韓国はP2Pを行うのにデータ面でとても良いインフラを持っている国です。韓国の成人は100人中100人が全員NICE信用情報院に登録されています。こんな国は他にありません。

韓国は以前IMFの後にクレジットカード危機が起き、これが完全に構築されたので、データを伝統的な金融会社よりもよく分析できる能力だけであればよいのです。 インフラがよく整っているため、信頼できるデータが多いということです。例えば、東南アジアで金融事業する際に難しいのは、このデータが信じられるのかどうかわからないことです。

韓国には検証されたインフラがあるため、データの整合性を心配する必要はなく、最終的に分析さえうまく行えれば大丈夫です。伝統的な金融会社は技術投資をあまりしておらず、 過去の伝統的な会計分析方式を使うなどします。とても古いモデルです。10年前に使った方法論をそのまま使う等。NICEのような信用評価会社が作ってくれるものを用い、搭載して使用します。外注ですね。


-信用等級だけを見て、 中金利を策定してしまうのでしょうか?

はい。外注で作ってもらった結果よって行うので。私たちのように、新しい機械学習アルゴリズムの中のディープニューラルネットワークとかであるとか、技術で弁別力を高めるという試み自体を伝統的な金融会社はほとんど行いません。LENDITは 「私たちの評価モデルの弁別力は以前より高い」という確固たる証明をすればよいのです。伝統的な会計分析モデルと比較して弁別力が高いということを、です。

例えば、承認率は10人のうち5人を承認するというもので同じですが、 不渡り率が10% 低くなるという仮説をデータとして証明します。LENDITが3年間のローンを扱えば、1年半ほど経過したときに仮説が正しいかどうかを検証することができます。この間 、2700億(約270億円)程度の融資を取り扱っており、期間も7年ほど経ち、デュレーション(duration、 投資資金の平均回収期間)が経過したこともあります。

韓国のインフラがとてもよくなっているので、私たちのものだけを見るのではなく、私たちに融資を申請した人で、通したにも関わらず、私たちから融資を受けずに他の金融会社に行った人が、不渡りになったかどうかについてを見ることができます。非常に膨大なデータを分析するインフラが整った数少ない国家であり、自分たちだけの能力があればとてつもなく高度化できる余地が多い市場です。

 

-LENDITがうまくやれるということを、 証明する具体的なケース一つを提示してください。

いいえ。一番重要なのは、私たちがどんなデータを見るかではありません。なぜなら「ある1つ」を見て評価を行えば、 それはとても簡単にマニピュレート(manipulate)、 つまり操作できるじゃないですか。例えば、あなたが携帯電話の料金をどれだけきちんと払えているかを見ている、といえば、まるで携帯電話の料金だけをきちんと払えば、私たちが貸付を行ってあげるかのように聞こえるでしょう。

証明は十分にされており、融資残高基準でいえば、今年末までに私たちが1500億(約150億円)程度までは無難に行くことができると判断しています。その後、来年末基準で3000億(約300億円)以上が目標です。


-Jカーブが来る?

そうです。残高が3,000億(約300億円)だとすれば 、400兆(約40兆円)の個人信用融資市場の中の 0.1%にもならないのです。 とても小さなことです。Jカーブのスタート地点を今年、 来年で証明すれば次に本格的に共済会や市中銀行のような大型金融機関がP2Pにお金を預け始めるでしょう。本当に動くということです。今はしっかりとJカーブを準備します。再びエンジニアに戻ります。結局技術です。

他の P2P の中では技術ではなく、 規制差益で発生する事業のチャンスを狙うところも多いです。例えば、不動産担保ローンですね。 現在 ITV40%までしか受けられないため、80%まで代わりに貸し出してくれる方式です。ここには凄い技術は必要ではありません。

一方、私たちはエンジニアリングによってのみ可能です。数字を見て、コンバージョン率を上げ、人々の反応速度を上げ、システムを安定させること、すべてがエンジニアリングです。コア戦略自体を実現するためには、エンジニアリングがなければ何もできません。ローン会社が何が技術開発だと誤解されやすいですが。

最高のエンジニアにとって、LENDITは良い場所だと自負しています。技術で世の中に影響を与えることができ、 また膨大なデータに直接出会える場所です。

開発者にとっての、LENDITの魅力は、データが非常に積み重ねられていることです。ローンの残高は270億ウォン(約27億円)ですが、 ローンを申請した人はひと月数十万人で、この中で扱ったローンの借り手については、私たちは毎月データを受け取ります。300種類のデータを毎月受け取るため、最終的に蓄積されるデータ量は膨大です。また何よりも、私たちの一般生活、 人々に最も直接的な影響を与えるのがお金です。成人 10人中 9人は融資を受けています。

例えば、検索をするであるとか、そうしたものはなくても生活に影響はないでしょうが、私たちが17%で貸付を受けた方を14%に、3%ポイント減らせれば、その人にはとても大きな変化じゃないですか。

ひと月利子20万ウォン(約20万円)だけ節約出来たとしても、一般的な人々はこれで勉強をしたり、遊びに行ったり、貯蓄をすることができるのですから。人の人生に大きく影響を与えます。この膨大なデータを用いて結果的に人々に大きな影響を与えるものを作る、 実質的な何かを作るということ自体がとても大きな魅力だと思います。

今後Jカーブが来ると3千億(約300億円)になり、 その後に残高が1兆(約1000億円)になる時に処理するデータ量はこれの倍数というより二乗に増えます。エンジニアの挑戦領域です。実際、このように難しい挑戦であるため、伝統的な金融会社はできていなかったのです。

そのためエンジニアの給与など処遇は大企業よりも良いです。調子が良いと言われている IT企業よりも良いです。今年は良い開発者20~30人を迎え入れ、 来年くらいまでには50人ほどにすることを考えています。



/media/ちょい事情通の記者(쫌아는기자들)
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